のどごしがいいだけの文章なんて。記事量産時代に個として生きる物書きの道


サプリメントみたいな文章は書かないようにしてる。
なんか、毒が入ってないと嫌なんですよね。毒って薬にもなるじゃないですか。

喫茶店でサンドイッチをもぐもぐしながら、さわやかにそんなことを言い放つ。
それは、渕上さんをご紹介するのに、これ以上ないくらいのシチュエーションでした。

穏やかな雰囲気をまとっているのに、どこかちょっと尖ったかんじ。

上場企業のリブセンスでおそらく唯一「編集/ライター」という肩書きの付いた名刺を持っているその人、渕上聖也(ふちがみせいや)氏は、文章のことを相談すれば、必ず何か答えをくれる存在です。

でも、渕上さん自身のお話については、実はあまり尋ねる機会がありません。

どんな風に生きてきたら、こんなに文章とまっすぐ向き合えるんだろう。

ほかにも、改まった機会でないとなかなか聞けないことがたくさんあります。

ほんとうは、渕上さんのきれいな文章で自伝的に語って欲しかったけれど…
きっと、自分で書くとなると割愛しちゃう部分もあるだろうな、なんて懸念して、インタビューをさせてもらうことにしました。

書いて、つながることで救われた。ブログからはじまった物書きの道

渕上さんが書くことを本格的に始めたのは、28歳のとき。

「当時勤めていた会社がいわゆるブラック企業で、毎日15時間くらい働いていたんですよ。もう、この鬱憤を何かで発散しないとダメになってしまうと思って、ブログを書きはじめたんです」

当時は、SNSが今ほど浸透していなかったころ。
ブログのコメント欄で生まれる読者とのコミュニケーションが、渕上さんにとっての大事な時間になりました。

そんなきっかけから、まずは副業として、ライターのキャリアをスタートさせます。

外部ライターの募集を探して「書かせてもらえませんか?」と売り込んでいくと、いくつかお仕事をもらえたのだそう。

「書いて食べていきたいと思うようになったのは、小学生の頃からです。でも、叶うのが少し遅かったんですよね。新卒で入社したのは出版社だったのですが、営業職だったので編集に携わることができなくて…だから、何度かキャリアチェンジして今があります」

物書き・渕上聖也の原点は、どうやら幼少期にありそうです。

父の背中をみて、クラスに必ずひとりいる「本の虫」に

「ちっちゃい頃は、『本の虫』タイプの少年でしたね。ほぼ図書館に住んでいるみたいな(笑)友達と遊ぶよりも読書している方が好きな子どもでした」

そんな渕上少年になる背景には、お父さんの存在がありました。

「ぼくの父はSF小説がすごく好きで、家の本棚には、もう絶版になっている本がめちゃめちゃあったんです。多分、有名な古本屋さんに高く買い取ってもらえるような全集とかもあって。ずっとそんな本ばっかり読んでいる父親でした。でも、父が物語の世界にのめり込む姿をずっと見ていたから、憧れのような感情を抱いたんです」

お父さんと同様、「読むこと」に魅せられた渕上さんの関心が、「書くこと」にも向き始めたのは、小学校5年生で作文の賞をとったとき。

自分の文章を評価される喜びを知った少年には、いつか叶えたい夢ができました。

「その頃から、将来は『小説家になりたい』『本を作る仕事がしたい』と思うようになったんです。結構、この流れって物書きの幼少期のテンプレですよね(笑)」

テンプレというか、ここまで綺麗なストーリだと、できすぎている気すらしてしまいます。

しかし、そんなサラブレッド的な幼少期と帳尻を合わせるように、少しだけ遠回りして動き出した夢への道のり。

踏み出した先に広がっていた景色はというと?

ライターと名乗ることへの違和感から「物書き・文筆家」へ

「ぼくがライターになったときは、この業界の”底”だったと思っています」

副業としてのライターをはじめてから2年後に、脱サラして本業ライターとなった渕上さん。

ところが当時は、バイラルメディアが数多く出現しはじめ、記事の質よりも量が重視される傾向にありました。

「文字単価という良くない仕組みにより、『1文字0.1円』などの低コストで、平気で記事が作成されていた時期でした。正直、このときに”ライター”という言葉が凋落したなと」

幼少期から文章を愛してきた渕上さんにとって、それは決して許せることではありませんでした。

自身の肩書きに”物書き”や”文筆家”という言葉を用いるのには、そんな風潮への反骨的な精神があるのだといいます。

 

渕上さんとお話をしていていつも感じるのは、そういった「物を書く人間」としてのプロ意識と、文章を世に出す身としての責任です。

そんな渕上さんに、ここで「文章」にまつわる質問をたくさん投げかけてみました。

書くことへの愛が生んだ「渕上流文章哲学」

―文章を書くためのインプット方法を教えてください。

人間がインプットをする方法は「本を読む」「旅に出る」「人に会う」の3種類しかない、と前に何かで読んだことがあって、これらを意識していますね。
その中で一番簡単なのが本を読むことだと思うので、週に4日は書店に行くって決めてるんです。

あと、スマホのマッチングアプリも活用しています。
前にCoffeeMeeting[コーヒーミーティング]のアンバサダーをしていたのですが、そこからお仕事に繋がったこともありました。
もともと積極的に人とコミュニケーションを取れるタイプではないので…もう「会うこと」にしてしまうのがけっこう重要なんです(笑)

―これまで書く仕事をするうえで、影響が強かったツールを3つ挙げるとしたら何ですか?

情報発信の意味で転機になったのはTwitterですね。初めてSNS経由でライティングのお仕事をもらう経験をしたのもTwitterでした。情報収集にも必要不可欠です。

あとは、テキストをクラウドで管理できるツールの登場はかなり作業の効率化につながりました。初期はEvernoteを愛用していたのですが、PCで書いた原稿をスマホで編集できるようになったのが大きかったです。

あとは録音ツール。僕はインタビューの仕事が多いので、ICレコーダーの発達は助かっています。今後は文字起こしを効率化できるツールも増えそうで楽しみ。

―物書きとして関わる記事の形態はさまざまだと思うのですが、いちばん好きなジャンルをしいて挙げるとしたら?

いちばんは体験レポートですかね。もともと、自分が見聞きしてきたことを「ストーリー」として書くのが好きなんです。

反対に、自分が体験したり、感情が動かされていない文章は書く価値がないんじゃないかとすら思っています。

―本当に感じたことを書く、というこだわりがあるように感じます。

そうですね。どんな記事でも、ちゃんと「感じていること」を書くのがモットーです。書き手の色を出すような記事では特にそうなのですが、物書きの魅力って、イコールその人の生き様みたいなところにあると思うんです。

「面白いことを書こう」と思って体験するのではなく、体験したなかで、書くべきだと思ったことを書く、みたいな。

ーそんな渕上さんにとって、理想の文章ってどんなものなのでしょうか?

伝えたい想いありきで綴られる、クスッと笑える文章ですかね。

今注目しているのは、鳥類学者の川上和人さんや、バッタの研究者である前野ウルド浩太郎さん。最近、こういった研究者が書いた一般向けの本がよく話題になっているような気がします。

この2人の文章がすごいのは、難しいことを分かりやすく説明するだけじゃなくて、3行に1回くらい「笑い」の要素が入っているんですよ。

そういうのに憧れますね。

ーでも、いわゆる「プロの書き手」ではない人の文章に魅力を感じるのって、ジレンマでは?

あー、なんだろ、うん。それは思いますよ。
僕は本業で書いてるのに…みたいな引け目ももちろんあります。

でもさっきの話に戻るけど、「書きたいから」書く仕事をしているんじゃなくて、どうしても伝えたいことがあるから、手段として書く、みたいなのが本来自然な流れだと思うんですよね。

だから、自分の熱中している分野について「伝えたい!」って気持ちが強い人の文章を読むのが好きなんです。

ー渕上さんご自身にも、そういう「伝えたい!」があるのですか?

うーん、趣味はたくさんあるけれど、書き手としての自分に専門分野がないのが長年の悩みだったりします。
実はこれまで5回ほど、”◯◯ライター”になろうとして挫折したことがあるんですよね…
なのでその辺はまだ模索段階なんです。

だけど、ずっと好きなゲームのことは、このChikenでも書いていきたいと思っています。

ー渕上さんのゲーム記事、楽しみです!では、書く時に大事にしていることはありますか?

”書き手のエゴを出さないこと”です。
前にほかの編集者さんに言われて心に残ったのが、「インタビュイーの発言したことを都合よく解釈してはいけない」ということ。

インタビューって、相手の発言をそのまま書かずに、その言葉の奥に隠されているものを文章化することってあるじゃないですか。
でも、その度が過ぎてしまうと、書き手が思い描いていた結論に近づけようとしてしまうんですよね。

だから、エゴを出さないっていうのは「結論ありきの取材をしない」ってことかもしれないな。あと、ひとりで記事を作ろうとせずに、誰かに客観的にフィードバックしてもらうことも大事ですね。

ー最後に、渕上さんが目指す今後の姿について教えてください!

それで言うと、必ずしも文章を書き続けなくてもいいと思っています。

人って、何かしらの表現をしないと生きていけない生き物だと思うのですが、僕の場合は、自分にとっていちばん負担なくできた表現の手段が「書くこと」なんです。

ただ、ずっと表現者ではありたい、とは思っています。

ちゃんと落とし込んで、書く。文章と向き合う3つの誓い

「僕、遅筆なんですよ。自分の中で納得できないと筆が進まないから、たくさんは記事を書けないんです。」

1本1本の記事とまっすぐに向き合っている渕上さんには、文章を書く上で大事にしている言葉が3つあるとのこと。
今回とくべつに教えてもらいました。

真実を話す

ショーン・コネリーの言葉です。
真実さえ話しておけば、あとは相手の判断に任せることができる、という意味。
これは、文章を世に出す上でも同じだなと思って心に留めています。

自分に嘘をつきながらものを書いてしまうと、心が摩耗するんですよね。自分にとっての真実は、誰でもひとつだと思うから、たとえ仕事であってもそこには正直でいたいです。

解釈を読者に委ねることも必要ですしね。

人生は要約できない

これは、伊坂幸太郎の小説『モダン・タイムス』に出てくるキャラクターの台詞。

人生を要約しようとすると、ハイライトとなる出来事ばかりをかいつまんで伝えることになる。
けれど実は、それよりも普段の生活の出来事の方が大事だ、という意味です。これを読んだときハッとしたんですよね。

インタビューって、その人の人生を要約するみたいなものじゃないですか。でも、例えばトピックスが3つあって、それを全部書こうとすると、無駄な部分を削らないといけなくなります。でも、その削ってしまった部分こそ、「その人」を語る上で必要だったりする。

だから、複数のトピックスを無理矢理短くして全て記事に詰め込むくらいなら、思い切ってひとつに絞って、深く書くのも重要だと思っています。

その人の余白を想像したくなるような要素を残すというか。 

わかりやすさを疑う

文章のわかりやすさを追求していくことで、削ってしまっている大事なことってあると思うんです。

例えば、キャッチコピーとしてわかりやすい言葉を使うのはいいけれど、イメージしやすい分、過剰表現になってしまう側面もあります。さっきのショーン・コネリーの話にも通ずるのですが、どこかでちゃんと補足しないと、嘘を書くことになる。

また、書き手としてむやみにそんな言葉を使わないだけでなく、情報の受け手としても、一気に心を掴まれるような強い言葉に踊らされないようにしています。

のどごしがいいだけの文章なんて。”個”として書くこれからのこと

「文章をビールに例えて、”味と喉越しどっちが大事か”問題みたいなものがあると思うんですけど、今って”喉越しのいい文章”が求められる傾向ですよね。読みやすいけど何も残らない、みたいな」

読みやすさのなかに、えぐみのような、何かが残る感覚がある文章を書く。
誰でもそれができるわけではないけれど、サンドイッチをもぐもぐしながら毒を吐ける渕上さんならできちゃうんだろうなぁ。

そして渕上さんの夢は、本の虫だった幼少期から今も変わりません。
「個」の文章の価値を高めることが、今後の目指す姿だといいます。

「いつか個人として書く方が本業になったらいいな。実は、小説も少しずつあたためて書いているんです」

渕上さんの目標はこちらのバケットリストでみていただくとして、渕上さん、やっぱり「自分が書きたいと思ったことを書く」のが好きなんですね。

「大好きですね」

…大人な男性の口からそんなにさらっと「大好き」なんて言葉を聞くこともないので、思わずどきっとしてしまいました(すみません)。

そんなことはさておき、プロのライターが自由に遊べる場『Chiken(チケン)』をつくろうという話になったとき、渕上さんって、自由に書くならどんな記事をつくるんだろう、とワクワクしたんです。

他の媒体では見られない渕上さんに会えるのが、ここでありますように!

 

ABOUTこの記事をかいた人

ライター・編集者。1991年うまれ。出版系の制作会社に入社後、2015年からフリーランスに。雑誌やweb媒体を中心に記事の執筆・編集を行っている。日本のものが好きすぎて、顔がこけしに似ていることをオイシイと思っているふしがある。