企画100本ノックの後に気づいた、アイデア出しに必要なもの

メリークリスマス、みなさま。
さて、12月の記事テーマはこちらです。
もしよければお付き合いください。

https://twitter.com/editor_bird/status/1067762954303549441

 

私にとって初の”アイデア出し”は100本ノックみたいなものだった

ちょっとむかしに、カロリーメイトのCMで満島ひかりが歌う中島みゆきの「ファイト」が話題になった。
私がアイデアの壁にぶち当たったのはちょうどその頃だったのを覚えている。

ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろう

ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

そんな歌詞が23歳の駆け出しライターには身に沁みて、「ばかばかばか!」と何度も心の中で唱えながら、得体の知れない理不尽さに頭にきて、深夜の東京をどしどし早歩きしながら帰路につく日々だった。

まぁこれも含めて、この仕事をたのしいなと思ってはいたんだけど。

***

それは、とある大手企業のオウンドメディアの立ち上げで、私が出版系の編集プロダクションに入社して1年が経ったころ、初めて自分のツテで受注した案件だった。

私のボスとしては、「新人が自分で持ってきたんだし、教育も兼ねてひとまず任せてみるか」みたいな気持ちだったんだと思う。

ただしそれは、約2か月で100本以上のwebコンテンツを納品しなければならないといった、めちゃくちゃな短納期でもあった。

今振り返っても、よくやったよって思う。

でもクオリティは散々だった。当時はそのことに気づけなかったからなおさらよくない。

あのときの私には、読者が見えてなかった

自分ひとりで100本以上の記事をこなすことなんてできそうにもなかったので、周囲のフリーライターさんに声をかけて、インターンシップの大学生も総動員して、私は入社2年目のぴよぴよディレクターになった。

とはいえ他のライターさんたちに企画からお願いしている時間もなく、とにかくスプレッドシートに思いつくままのアイデアを書き出して、カテゴリ分けをして、クライアントにチェック依頼をして…

結果としてその案件は私をすごく成長させてくれたけれど、鍛えられたのは企画力なんかじゃなく、持久力や根性、進行管理力だった。

私たちはライターや編集者として世の中にコンテンツを提供しているのだから、読者にとってなにか収穫のあるものを作らなきゃいけない。

でも、あのときは「こなす」ことに必死で、全然それができていなかった。

それこそ「勉強がはかどる方法◯選」みたいな、薄っぺらい記事をただ量産しているだけ。

ウェルク問題の少し前だったので、インターネットにはもっとひどいコンテンツもたくさんあったし、「良いコンテンツとは」という目線が麻痺してたのかもしれない。

というかそもそも、私自身の「良いコンテンツ」に対する価値基準が全然しっかりしていなかった。

「やっつけ」禁止令

あれから3年くらいが経ち、フリーランスのライター・編集者になった私が今いただいているのは、ほとんどが企画から記事を作っていくお仕事だ。

今だって手探りで企画していることはたくさんあるけれど、ちょっと大変なことに出合うたびに「あのとき」を思い出す。

あんなに大変だったけど乗り切れたんだから大丈夫
という自信が半分と、
あんな風にやっつけで記事を作っちゃだめ
という反省が半分。

だからもう、どう考えても良いものができない条件はお断りしてしまうようになったし、自分が関わったことを公言できないような記事は絶対に作らないと誓うことにしている。

当たり前と言われたらそうだけど、やっつけ仕事はもうしない。

いいものは、誰かと本気でつくりたい

最近は記事広告やソーシャル拡散を狙う記事の企画に携わるようになって、なんとなくだけど「良いコンテンツ」が生まれるときのセオリーみたいなものが見えてきた気がしている。

その条件が、

・コンテンツになる人、モノ自体に魅力があること
・企画者が幅広い知見を持っていること
・納品までのスケジュールに無理がないこと
・本気で壁打ちし合える存在がいること

なんじゃないかな。

中でも一番わたしが大事にしているのが、最後の「壁打ちし合える存在」。
自分ひとりで思いつく企画なんて、たかが知れてる。
フリーランスだってなんだって、良いコンテンツを作るのにはチームが必要だと思う。

企画100本ノックに打ちのめされそうになっていた私は、全部自分ひとりで頑張ってると思っていた。

それじゃあ、良いアイデアなんて生まれないよね。

ABOUTこの記事をかいた人

ライター・編集者。1991年うまれ。出版系の制作会社に入社後、2015年からフリーランスに。雑誌やweb媒体を中心に記事の執筆・編集を行っている。日本のものが好きすぎて、顔がこけしに似ていることをオイシイと思っているふしがある。