初めての挫折。それは、ぼくが競争の人生から降りた理由

今月もやってきた、編集鳥(誤字ではない)からのお題に応える記事企画。4月のテーマは「初めての◯◯」。何かを始めるのにふさわしいこの季節。今の自分をかたちづくった何かしらの初体験を書けということなのだろう。

初めて買ったCD、初めて観た映画、初めて読んだ本……うーん、なんだかどれもしっくりこない。今の自分につながっている「◯◯」ってなんだろうか……なんて迷うことはなくて、それは明確にゲームだと言える。

ファミコン生まれ、ゲーセン育ち

自分が生まれたのは1982年12月。翌年の7月に任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売され、流行りモノに目がない父が欲しがったからか、当時から我が家にはファミコンがあった。幼少期からファミコンとともに育った自分は、途中SEGAやSONYに浮気しながらも、互いを必要とし合う蜜月の関係を築いていった。

そんな自分が「プロゲーマー」を志したのは、高校1年生のころだった。時は1998年、SONY『プレイステーション』と熾烈な争いを繰り広げたSEGAの『セガサターン』が敗北し、王座を奪還すべく開発された後継機『ドリームキャスト』が産声を挙げた年だ。

当時のテレビゲーム業界における技術革新は凄まじいものがあった。ゲームセンターで遊ぶことができるビデオゲームを『アーケード』と呼ぶことがあるが、このアーケードゲームを家庭用のゲーム機で完全再現することは、技術的な問題で長らく難しいとされてきた。

しかし、セガサターンでは遂にアーケードに肉薄するクオリティを再現することが可能となり、その後継機であるドリームキャストはアーケードを超えてしまうレベルにまで登りつめた。根っからのアーケード格闘ゲーマーだった自分は、この頃から本格的にプロゲーマーを志すようになった。

プロゲーマーなんていない時代に、プロゲーマーを目指した

欧米や韓国といったプロゲーマー先進国にかなり遅れをとっているが、2017年現在、日本でもようやくプロゲーマーという職業が市民権を得始めた。

自分が高校1年生だった1998年には、もちろんそんな職業は存在しない。格闘ゲームの大会でチャンピオンになり、プロスポーツ選手のように活躍したいと勝手に思っていただけのことだ。

当時京都の片田舎に住んでいた自分は、『ヴァンパイアセイヴァー』『THE KING OF FIGHTERS』『バーチャファイター』といった様々なタイトルの格闘ゲームに夢中になっていた。

昼ごはん代を削ってプレイ代に充てるのは当たり前だったし、新作が出るタイミングには学校を抜け出して昼間からゲームセンターにいったこともある。地元では敵なしの状況に昇りつめたこともある。地元で対戦相手が見つからないときには、京都市内の有名なゲームセンターに遠征することもあった。

運命のゲーム『ギルティギア ゼクス』との邂逅

高校3年生の受験シーズンになっても変わらずゲームに夢中だったが、この2000年に運命の格闘ゲームと出会ってしまう。これまでアーケードの格闘ゲームを作ったことがない新参の会社・アークシステムワークスが開発した『ギルティギア ゼクス』だ。

格闘ゲームというものは、過去の蓄積がモノをいうプロダクトである。ブームに乗っかろうと新参会社がタイトルを出しても、ユーザーはクオリティの低さをすぐに見抜いてしまう。早々に閑古鳥の鳴くタイトルはゲームセンターからもすぐに消えてしまうのだ。

そんな業界に現れた『ギルティギア ゼクス』というタイトルは、他のどんな格闘ゲームよりも美しいグラフィックであり、アクションの爽快さ、ド派手な演出、個性の際立つ魅力的なキャラクターと、どの点をとっても素晴らしい出来だった。老舗大手メーカーの安牌なゲームを捨て、このタイトルに夢中になった人は周りにも数多くいた。まさに業界を震撼させるタイトルとなったわけだ。

このゲームを極めたい。そう決めた自分は、対戦相手を求めて様々なゲームセンターに足を運び、対戦を繰り返した。なぜか合格できた大学に通い始めてからも、空いた時間はゲームセンターでの対戦に費やした。

そんな自分が、プロゲーマーを夢を断念したのは2001年のことだった。

スランプ、そして現実

勝てなくなってしまった。スランプだったのかもしれない。練習は欠かさずしていたが、あの頃のように指が動かない。乗り越えるべき壁だったのかもしれないと今では思うが、そんな折に人生のストーリーについて思いを馳せてしまった。

「ゲームが上手くなって、何かいいことあるのか?」
「それでどうやって食っていくんだ?」
「大学に入ってまでゲーム三昧かよ」

そんなフレーズが頭をよぎり、一瞬で熱が冷めてしまった。

格闘ゲームはおろか、ゲームそのものに嫌気が差してしまったのだ。家にあった数々のゲームをすべて売り払い、あっという間にゲームのまったく存在しない人生を生きることになった。

還ってきたギルティギア

それからゲームと関わらない人生をしばらく送ることになったが、そんな自分がまた格闘ゲームの世界に戻ってきたのは、たまたまゲームセンターに行ったときに見かけた『ギルティギア イグゼクス アクセントコア』がきっかけだった。

ゼクスから正統な進化を遂げていたこのタイトルは、またしても自分を釘付けにした。「大好きなものに本気で取り組んでいた、あのころの気持ちを取り戻したい」。瞬間的にそう思った自分は、思わず100円を投入した。

時は2008年。またしても、自分の人生にギルティギアが帰ってきた。

今では「プロゲーマーになろう」という夢は追っていない。文章を書くことが好きで、その道に生きがいを見出しはじめているから。片手間でプロになれるほど簡単な世界でないことは、誰よりも知っているつもりだ。それでもゲームはやめられない。

今でもゲームセンターにいって対戦するし、レトロから最新機種まで家庭用のゲーム機を揃えてゲーム三昧の生活を送っている。本当に大好きなものは、好きなだけで十分だということに、やっと気づけた。もし1998年の自分に伝えることができるなら、そう言ってあげたい。

そんな自分が今プレイしているのは、『ギルティギア イグザードレベレーター』。もちろん、「あのゲーム」の最新シリーズだ。

格闘ゲームで患った、競争という病

さて、ここまできて本記事のテーマが何だったかを振り返ると、それは「初めての◯◯」だった。この◯◯に入るのはゲームかと思いきやそうではない。

ここに入れたいのは「挫折」だ。

大きな失敗もないままわりと順風満帆に生きてきた自分が、初めて経験した挫折。それは、プロゲーマーという夢を諦めたことだった。

ゲームと出会ったことが自分の人生を華やかなものにしたし、それによって一度は抱いた夢をあきらめるという挫折も経験した。だけど、今の自分をかたちづくっているのはゲームに出会ったことやゲームそのものではなく、ゲームを内包する「遊び」の定義のひとつ、競争を諦めたことが大きい。

フランスの哲学者ロジェ・カイヨワの名著「遊びと人間」は、遊ぶという人間の人生に欠かせない行為を追求する哲学書だ。この本によると、遊びはその内容によって以下の4つに分けられるという。

1. アゴン(Agon=競争)
例)サッカー、野球、将棋、チェス

2. アレア(Alea=運)
例)ルーレット、すごろく

3. ミミクリ(Mimicry=模擬)
例)ごっこ遊び、演劇

4. イリンクス(Ilinx=眩暈)
例)ジェットコースター、サーカス

単一の遊びしかないわけではなく、複数の要素が掛け合わされた遊びもあるが、今回は触れない。さて、自分が青春時代の多くを捧げた格闘ゲームはどれに当てはまるだろうか。答えは明確で、アゴンだ。

格闘ゲームはアゴン(=競争)の塊

いわゆるテレビゲームには運の要素が影響しているものが多い。何時間もプレイして実力を磨いても、運が悪ければうまくいかなかったりするし、初心者でもラッキーパンチを打てる可能性だってある。

しかし格闘ゲームは違う。

ネット回線接続の不具合によるタイムラグ(遅延)のような外部の事情を除き、100%に限りなく近い割合で実力がものを言う。つまり、言い訳ができない。負けたのは自分が実力不足だったせいだし、勝ったのは腕を磨いた自分の力のおかげだ。

その点ではスポーツと同じだし、ひょっとするとスポーツのほうがアレア(運)の要素が強いかもしれない。自分はそんな、限りなく純粋なアゴン(競争)の世界で戦おうとしていたのだ。

先に述べたように、自分は格闘ゲームの世界で生きていくのを諦めた。しかしそれは、格闘ゲームそのものがイヤになったからではなかった。

過酷な競争に疲れ果てただけだったのだろう。思えば学生時代からテストの類いで他人と競うのはイヤだったし、運動会なんてもっての外で、棄権も厭わないほど競争が嫌いだった。それは、どれだけがんばっても1位にはなれない諦めがあったからだと思う。

そんな自分でも、格闘ゲームなら1位になれる。地元で敵なしの強さを誇っていた(と思い込んでいただけだったのだが)ことから、ここでなら競争に勝てると考えたのかもしれない。

だけどそれも儚い夢。チャンピオンは必ずひとりだし、そこまでには過酷な競争を勝ち抜いていかなければならない。格闘ゲームを始めて8年、明確にプロゲーマーを目指して4年、我ながらよくがんばったほうだと思う。そして、遂に折れた。

初めての挫折。それは、ぼくが競争の人生から降りた理由

プロゲーマーの夢に挫折したのは、競争の世界で生きるのに挫折したのと同じだと考えている。競争しなくても活躍できる環境に身を移し続けているのは、あの頃の挫折が転機になったからだと思う。ライターという仕事を選んだのも、勝ち負けではない世界を目指した結果たどり着いただけなのかもしれないと、時々考えることがある。

今自分はライターおよび編集者として働いているが、なるべく競争しないでいいところを選んでいる。PV数、シェア数、いいね数……なまじ数字が出るものだから、つい他人と競争をさせられそうになるが、そういった環境からはできるだけ離れるようにしてきた。

数字で競わないメディアは探せば意外とあるもので、そういったところで落ち着きながら働けている自分は幸せだろうなと思う。もしあの頃の挫折がなかったら、社会人になってから過酷な競争に揉まれ、心をすり減らしていたかもしれない(いや、実際は心がすり減るメディアに勤めていたこともあるが、身の危険を察知して早めに抜け出せた)

初めての挫折はつらい経験だったが、結果的に「自分には何が向いていないか」を知るきっかけになった。それが今も活きている。挫折が糧になっているのなら、決して悪い経験じゃなかったんだろうな。何かを始めるのにふさわしいこの季節、何かを「やめる」と決めてしまうのもいいんじゃないだろうか。

Photo by Bench Accounting, Kelly Sikkema, Carl Raw, Sean Do, Ugur Akdemir, rawpixel.com on Unsplash

ABOUTこの記事をかいた人

文筆家/編集者。犬派、邦画派。相対性理論/やくしまるえつこ愛。人文書、哲学書、文学あたりを好んで読む活字中毒。レトロゲームから現行機種まで幅ひろく遊ぶゲーマー。竜退治はもう飽きた。