何かを始めるのにふさわしいこの季節。ひょっとすると、先行き不安なライターの世界に足を踏み入れた人がいるかもしれない。そういえば自分が書く仕事を始めたのも、たしかこの季節だった。
もしライティングや編集術について学びたいなら、その筋の名著には目を通しておいたほうがいいと思う。例えば「20歳の自分に受けさせたい文章講義(古賀史健)」や「新しい文章力の教室(唐木元)」、「文章心得帖(鶴見俊輔)」に「日本語の作文技術(本多勝一)」など。
…とはいえ、こういった名著は大抵、「文章術を学びたいあなたが読んでおくべき本・ベスト5」といったよくあるまとめ記事にも取り上げられているし、そもそも書く仕事を選んだ人なら、言われなくても手にとっているんじゃないかと思う。
ということで、ここでは少し視点を変え、文章はもちろん思考の奥行きや幅を広げる本を紹介してみたい。書く技術はもちろん大事だけれど、書く内容がイケてなければ台無しだから。そんな本を5冊ばかりと、合わせておすすめしたい文章術の本が2冊。気になる本があれば、ぜひ近くの本屋さんで手にとってもらいたい(一応、Amazonのリンクも用意しておくけれど)
1. 文体練習 レーモン・クノー (朝日出版社)
10年近く前のこと。京都・一乗寺にある書店・恵文社に立ち寄った際、装丁の美しさに惹かれてこの本を手にとった。今に至るまで、この本が人生におけるマイベストブックの座から滑り落ちたことは一度もない。
著者は、フランスの文学者レーモン・クノー。潜在的文学工房ウリポの主たるメンバーで、実験的な文章を操ることで有名である。
まずはこの物語を読んでみてほしい。
この何の変哲もない物語が、99もの文体で書き換わっていく。
倒叙法、隠喩のみ、擬音のみ、リポグラム、哲学の言葉、そして女子高生風の言葉づかいにも…。 書く仕事をしている人で、この本に衝撃を受けない人はいないと思う。あまねく書き手(自分も含む)は、「自分だけが書ける文体」みたいなものにこだわる前に、この本を読んで視野を広げたほうがいいんじゃないかと心底思っている。
ライティングにしろ編集にしろ、ある程度数をこなさないことには腕は上がらない。何事も日々の稽古が物を言う世界なのだから。その稽古にうってつけなのがこの本だ。
それにしても、原文のフランス語による文体の遊びを、ここまで遊び心のある日本語に翻訳できるのはすごい。編集者とは翻訳者とイコールの存在。優れた翻訳にふれることにより、日本語の使い方を学べ、編集の粋も身につく。こんなに優れた書物は他にないんじゃないだろうか。
2. 観察の練習 菅俊一 (NUMABOOKS)
いいコンテンツとはなんだろうか。
PVが稼げること? SNSでシェアされること? 自分はそういった数字で測れるものではないと思っている。本当にいいコンテンツとは、「新しい視点を与えてくれるもの」ではないかというのが持論だ。もちろん異論は認めるし、その定義で誰かと争う気は1ミリもない。
ひとつには目の前の霧が晴れるような体験を与えられるものはいいコンテンツだなと思う。とはいえ、そこにはある種の公益性があってほしい。つまり、誰かにためになるとか。
ある事実に対して自分なりの意見を述べることも、誰かにとって新しい視点を与えることになるかもしれない。かといって「こうやって法を躱せば大金を稼げるのか!」なんて卑しいものは、霧が晴れるとはまた違うと思うが。
視点を増やすには、日常的に身の回りを観察することで磨けるのではないか。この本にはそんな日常で見かける違和感を観察し、一枚の写真と少しの文章で表現している。
例えば冒頭で示されているのは、平らに見える歩道に流れる水が枝分かれしている写真。整備された歩道を歩いていると無意識の内に平坦であるものだと感じているが、流れ込んだ水の這い方で、その歩道がじつはかなりデコボコしていたことに気づく。
それを知ったから人生が好転するようなレベルのエピソードではない。何なら知らないまま済ませてもとくに不利益を被るものではないかもしれない。
でも、こうやって観察することで世の中を見る目が変わっていく。視野が広がれば思い込みも減るし、書き手としての幅も広がるし、いいことづくめだろう。菅さんの前著「まなざし」も同様、視点を増やすのにうってつけだから、ぜひ合わせて手にとってもらいたい(まなざしは電子書籍しかないけれど)
3. 日本語のために 日本文学全集30 池澤夏樹編 (河出書房新社)
この本はすごい。こんな語彙力ゼロの言葉が飛び出すくらいに、この本はすごい。およそ1300年に亘る日本語というものの多様性が、この分厚い本の中にすべて収められている。
どういうことかというと、日本人の罪と穢れの観点が載る祝詞(のりと)に始まり、漢詩漢文、仏教・キリスト教の言葉、琉球語、アイヌ語、音韻、政治の言葉、日本語の性格、そして現代語に至るまで、ありとあらゆるサンプルが収められているのだから。さらに編者である池澤夏樹さんの解説まで懇切丁寧に付いてくる。これで3,000円もしないなんてオトク過ぎる。
「日本語」に含まれる要素は多い。表音文字のひらがなとカタカナ、表意文字の漢字、便法としてのふりがななど、外来の文化を取り込んで進化してきたと言える。
よくよく考えてみたら、世界的にも稀であるこの複雑怪奇な言葉を使って仕事をしようとしているのだから、恐れ多いことでもある。しかし同時に、日本語が持つ多様性による豊潤さは、希望に満ちているとも思う。
反知性主義が跳梁跋扈する現代において、書き手がこういった言葉の価値を信じないでどうするのだろうか。だからあえて、この本をオススメしたい。完読できなくてもいいし、興味のあるところだけ開くだけでいい。この本が手元にあると、日本語を扱う仕事に誇りを持てると思うから。
4. 「言葉にできる」は武器になる。 梅田悟司 (日本経済新聞出版社)
タイトルがよくあるハウツー系ビジネス書のようで、なかなか食指が動かない感じだが、内容はとても真摯。言葉の貧困から「語彙力を上げよう!」というブームが起き、本屋のビジネス書コーナーには語彙力を高めることを謳う本が並んでいる光景をよく見かける。
でも、必要なのは付け焼き刃の語彙ではなく、自分の頭に浮かぶ言葉たちを研ぎ澄まし、内なる言葉たちを立体的にしていくこと。それをこの本では「解像度を上げる」と書いてあり、言い得て妙だと感心することしきり。
いま世の中では、何よりも「わかりやすい」ことが大事だと言われている。その本を読むと笑えるのか、泣けるのか、感動するのか、自分の感情がどう変化するのかをダイレクトに訴えかけないとものが売れないらしい。
これは言葉の凋落と言えるんじゃないだろうか。浅い言葉に操られる飼いならされた消費者になりたくなければ、思考を深めなければならない。そのためにこの本を全力でおすすめしたい。
著者の梅田氏はこう述べる。
語彙が増えれば表現力も上がっていい文章が書けるなんて、思い込みにすぎない。思考を立体的にしていくなかで、自然と磨かれていく。そうやって深めた言葉を内に置いておけば、薄っぺらく中身のない言葉に踊らされることはなくなると思う。
5. 論理トレーニング101題 野矢茂樹 (産業図書)
ベストセラー街道を突っ走っている、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」。この再デビューを編集者として担った柿内さんのツイートでこの本のことを知った。
後輩に必ず読め!と渡す一冊が『論理トレーニング101題』https://t.co/VWpWpZZrCf。当たり前に使ってる日本語がいかに論理的で、実は全く使いこなせてないか叩き込まれる本。読めば日本語レベルが2段上がる、編集者レベルは4段上がると伝えても、誰一人完読した奴はいない
— 柿内芳文(編集者) (@kakkyoshifumi) February 24, 2017
日本人の識字率は98%と言われているし、当然のごとく日本語の読み書きは誰もができると思われている。しかしこの数字は就学率とイコールとして扱われているだけ。学校に行ってるんだから読み書きくらいできるだとう、という数字にすぎない。
ツイッターでもやってみればわかるが、たった140字の文章すら読めていないことからトラブルはよく起こる。自分を戒めるためにも、自分はまともな日本語の読み書きはできていないという前提を持ってこの本を読んでみてほしい。
めっちゃ難しいから、本当に。
柿内さんは「読めば日本語レベルが2段上がる、編集者レベルは4段上がると伝えても、誰一人完読した奴はいない」と述べている。じつは自分も完読できていない。情けない話ではあるが、本当にむずかしいんだ、これが。一生かけてクリアしていこうと思っている。
6. 不良のための文章術 永江朗 (NHKブックス・絶版)
あなたがもし創作作家を目指しているのなら読まないほうがいいが、商業ライターとして食べていきたいなら必読の本だと思う。
いわゆる「てにをは」のような技術を学ぶのも大事だけど、いかにおもしろく、読者に喜んでもらえる文章を書くかのほうがもっと重要だ。「金を稼げる文とはこういうものだ」という事例がいくつも載っていて、雑誌の800字コラムの依頼を受けたときなんかには、じつに頼れる本になる。
こういった解説をすると下品な本のように聞こえるかもしれないが、著者は読んでもらうために割り切っているというか、あえてこういう書き方をしているんだと理解してほしい。普段から下品に書いている人でないことは他の著書をみればわかる。
ネットで検索すれば文章術に関する記事はごまんと出てくるが、たいていは口当たりのいい二番煎じなコピペばかり。あんなのをいくつも読むくらいなら、この本を読んで頭をぶん殴られたほうが200倍価値がある。
難点があるとしたら、すでに絶版になっているということのみ。今ならAmazonのマーケットプレイスで買える。もし無くなっていたら、がんばって探そう。
7. 四月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うということ 《象の消滅に収録》 村上春樹 (新潮社)
ライターは文字数の感覚を身につけることが大事だ。これは前出の「不良のための文章術」にも詳しく書いてある。
あなたがこれから書く仕事の文章が何文字かはわからないが、Webで書くのであれば1,000字〜5,000字の間になるんじゃないかと思う。ちなみに自分は3,000字の割合が多かった。
そのため、まずは3,000字がどれくらいの文章量なのかを知る必要があった。「たった3,000字でこれだけ奥深い物語が書けるのか!」と驚いたのがこちら、村上春樹の著名な短編「四月のある晴れた朝に100%の女の子に出会うということ」だ。
3,000字の物語のあらすじを書くというのも妙だけど、あえて書くならこんな感じ。
特に「昔々」で始まり「悲しい話だと思いませんか」で終わるエピソードの部分がとてもいい。個人的には究極の恋愛物語だと思う。この作品にインスパイアされた人は多く、近年で言えば「君の名は。」をヒットさせた新海誠監督が挙げられる。セル版の特典に付いていたブックレットによると、監督は諳んじることができるくらいにこの物語を頭にインプットしているそうだ。確かに代表作「秒速5センチメートル」などには、その影響が見て取れる。
あなたの主たる活躍の場がWebなら、文字数はそんなに多くを求められない。むしろその多くはない文字数できれいにまとめきらないといけないのが難しい。そういった意味で、この村上春樹の短編やいわゆるショートショートと言われる物語は参考になると思う。この短編が合わないようであれば、星新一やフレドリック・ブラウンといった名手の作品を手にとってみてはどうだろう。
念のため言っておきたいのは、求められた文字数がどれくらいの文量なのか、目測をつけられるようになるのが大事だということ。それが達成できるなら別になんでもいい。自分にとってちょうどよかったのが、こういったショートショートだっただけなので。
今回取り上げた本の中には、手に入れるのがむずかしいものもある。しかも値段が高い。きっと購入には躊躇すると思う。ただ、新しい視点が得られることは保証する。