私が「書くこと」にこだわる理由

「◯◯なライターのなり方」とは?
様々なキャリアのフェーズにいるライターさんに、リアルなテーマで書いていただくゲストエッセイです。
普段はなかなか書けない本音や、同じような境遇のライターさんに勇気が湧くお話を揃えていきたいなぁと思っています。

今回の書き手は、会社員をしながらライター・フォトグラファーとしても活動をしているぽんずさん。
どうしても「書く」ことにこだわりたかった彼女の原体験を綴っていただきました。

学生のころ、就活がほんとうに嫌いだった。

有名企業の話しかしなくなった友人も、黒染めでゴワゴワした髪の毛も、目の大きさと口角の歪みを修正された証明写真も。
ぜんぶ馴染めなかった。

教師の家系に生まれ九州の田舎町で育った私にとって、「会社」なんて、「企業」なんて、ファンタジーの中の世界と同じくらい遠い存在だった。
ホグワーツと同じくらい遠い。

就活が始まった途端、みんながいっせいに知らない言語でしゃべり始めたような気分だった。

大学時代の私は、サークルにも属せず、インターンにも行ったことがなかった。
大学の講義がすごく楽しかったから、一生懸命課題をやっていた。
だけどそんなこと、面接官には関係ない。

大学時代がんばったこととして、「勉強」なんて言ったところで、誰が興味をもってくれる?

ストレスでニキビが次々と出来た。
年上の恋人にたいして理不尽なケンカをふっかけた。そしてフラれた。

だから就活の思い出はもうさんざんだ。
だけど1つだけ感謝してることがある。

ストレスではち切れそうだった日々の中、一つだけ大事なことを見つけた。
自分が本当にやりたいこと。自分にできること。一生かけてがんばりたいこと。
それは「書くこと」だ。

とはいえ、たいした文才があるわけでもない。
賞を取ったことなんてない。
そうね、小学校2年生のころに担任の先生に褒めてもらったくらい。

だけど、それでも「書く」ことで、言葉と格闘することで生きていきたいと思った。

なんで「書く」ことだったのかというと。一番おおきなきっかけは一冊の本だった。

当時読んで衝撃を受けた本、『夜と霧』。
第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に連行されたヴィクトール・フランクルの著書だ。

読んだとたんガツンと衝撃を受けた一説がある。

苦悩という情動は、それについて明晰判明に表明したとたん、苦悩であることをやめる

あとから調べてみたら、どうやらこれは、オランダの哲学者スピノザの『エチカ』にあるフレーズを引用したものみたい。

苦しみを感じたとき、なんでそれが自分にとって苦しいのか、原因を分析して、言葉にして書いてみる。

どうやったらその苦しみが薄れるか、今の自分にできることはどんなことか。

ただただ苦しいともがくのではなく、すこし自分の気持ちに距離をおいて言葉にしてみる。
そうすると、正体不明だった苦しみに光が見えてくる。

真っ暗な部屋で幽霊を見たと思って飛び上がったとき、その正体が月あかりに照らされた白い服だと気づいた瞬間、怖くもなんともなくなる。

ちょっと子どもじみた例えだけど、噛み砕いて言うならそういうことだと思う。

もともと書くことは好きだったけど、この文章に出会ったとき、私の中で「書く」意味がちょっと変わった。

お祈りメールが届いたiPhoneを握りしめてひとり部屋で泣き崩れたことも、緊張しすぎて面接直前に男子トイレに駆け込んだことも、全部書こう。
言葉にしよう。
そうしたら何か変わるかもしれない。

それにいつかこの経験もネタにして文章にできれば、同じように悩む誰かの心をすこし明るくできるかもしれない。
くよくよしてばかりの私だったけど、そんな風に思うとすこしだけ気持ちが楽になった。

生身の人間としゃべるのももちろん大切だけど、書かれた言葉にしか持ちえないパワーもあると信じている。

もう死んでしまった人の言葉も、地球の裏側に住む人の言葉も。
直接会って話すことはできなくても、書かれた文字なら相手に届く。

私自信が言葉に救われたから、今度は誰かの心にあかりを灯す言葉を、私も届けたい。
そう願いながら、今日もキーボードを叩いてる。

今はまだライターとしても駆け出しだけど、気になることや書きたいことはたくさんある。

苦手だった就活のことだけじゃなくて、これからの働き方のこと、これからの生き方のこと。誰かの心の居場所となれるような記事を書ける日を目指して。

ABOUTこの記事をかいた人

ライター・編集者。1991年うまれ。出版系の制作会社に入社後、2015年からフリーランスに。雑誌やweb媒体を中心に記事の執筆・編集を行っている。日本のものが好きすぎて、顔がこけしに似ていることをオイシイと思っているふしがある。